|
タヌキ君がやって来た
狸君のお話 店頭紙DAUBER1992年2月号掲載
店の前のレストランブランコで友人と雑談していたとき、店を目立たせるために信楽焼の狸を、今や私のトレードマークになっているズボン釣りを(今はオーバーオールのジーンズがトレードマークになっている)つけて置いてはどうかなどという冗談を話していたのだが11月の中ごろだったと思う。冗談を本気でやってしまうのが私の持ち味だと思っているので、以前から田無のあたりに狸屋が(タナシのタヌキなんてできすぎてると思わない?)有るのは知っていたので、たまたま保谷方面に用事で出かける当店期待の新人=岩渕君に視察に行ってもらった。帰ってきたとき嬉しそうな顔をしているので聞いてみると、何とカメラを持った狸が有ったと言う。ただし少し予定していた物より小さかったようなのでやはり自分で見ようと出かけたのが雪の12月27日の事であった。ところが年末でもう閉まっていたのでそのまま引き返した。
年もあけて7日の事だったと思うが、もう1度出かけてみたら年始は11日から店をあけるという何とものんびりしたお店。それでも入口の所から中を見ることは出来たので覗いてみると、信楽焼の狸はというのは傘をつけていたりトックリを下げていたりで意外と横幅がある。これならば少しは小さい方が良いかなと思って探してみると、いたいた。少し左のいちばん前にトックリを下げて前に出した両手にしっかりと黒の1眼レフカメラを持った狸君が。そのカメラが余りにリアルだったので一目で惚れ込んでしまった。隣にいた岩渕君が喜んだ事喜んだ事。
13日。今日こそはと2人で買いに行った。中に入ると店の親父は狸そのもので「これがほしいんだけど」と言うと突然顔色が明るくなって「あなた、カメラ屋さん?」
親父さんの話によれば12年前に中野の写真屋さんからの注文で造ったとき、焼くときに割れるのを心配して大小2体つくったうちの小さい方で、それ以来きっとどこかのカメラ屋さんが買ってくれだろうと、雨風の中で12年間待っていたのだそうだ。
縁起ものは値切った方が良いなどという話もあるのでぎりぎりまで値切って買ってきて、13日が友引だったのでとりあえず店頭にお立ちいただいた。もともとは気楽に階段の上にでも置こうかと思っていたのだが、壊したら2度と手に入らないものなので祠に入れて警備システムを導入してなどと思案をめぐらせている。町の名物になるようだと良いのだけれど。
狸君のお話 その後(1992年4月号掲載)
私のキャラクターに合わせて狸の置物をと探していたら、カメラを持った狸が見つかってしまったという経緯は、2月号に載せたとおり。11月の中ごろから話は始まって、今年の1月13日にドーバーフォトにやって来た。最初はズボン吊りと眼鏡をつける予定であったが、そんないたずら心で装飾してはもったいないほどの代物。いまだ見つからない中野の写真屋さんが12年前に注文したときの予備で、12年間私が来るのを待っていたのだななどと思うと下手な小細工はする気になれない。さんざん思案したあげく祠に納める事にした。その時は祠という言葉も私の頭の中では死語になっていて「お地蔵さんが入っている建物?は確か祠って言うんだったよな」などと認識して、以前より懇意にしている(株)増建の社長さんに頼んだ。個人的にも仕事上も、たくさんの建築屋さんと付き合いがあるのだが、古風な木造の物を造ってもらうのにピッタリだったのと、こんな冗談みたいな話を持ちかけてよさそうな人が他に考えられなかったからでもある。増建さん(と、みんなが呼んでいる。本人も「増建と呼んでください」と自己紹介をする。)は狸君を興味深そうに見ながらメジャーをポケットから出して寸法をはかっていた。
1月の後半、3周年売り出しの企画を組んでいるときに、新しくなった商店街の街頭の完成を記念して2月11日に青空市場をひらく事が決まった。どんなものを目玉にしたらお客さんに来ていただけるだろうとか、赤字の部分をどうするとか話し合っているときに「ドーバーフォトさんはどんなものを売るつもりですか」と聞かれたので(普段からバカげた行動で眼を引いているので、一斉に視線が注目して気持ちが良かった)「顔を売りたいと思います」と答え、「狸神社の境内で」という企画で狸君を囲んでコマやヨーヨーなどのおもちゃを実演販売したいと話した。ドーバーフォトの新人=岩渕君の発案である。狸君を中心にしておもちゃを売って、買ってくれた子供を狸君の一緒に写真を撮って、無料で配ろうという企画だ。わたす日を3周年売り出しの当日にするなどという商魂のたくましさも忘れてはいない。
必然的というか強引というか、青空市場を売り出しのプレイベントにする事にしてスタートしたため、祠の除幕式をピッタリ3周年に当たる3月3日3時に合わせようと企てた。すぐに増建さんに連絡した。
しばらくして売り出しも近づいた頃、いささか心配になって増建さんに連絡した。「いやー、そろそろ手をつけようかなって思ってたんだけど」と、相変わらずの気楽さで返事が来て、さらに何日かして細かい打ち合わせに来てくれた。さすがにプロだと思ったのは方位磁石を持ってきていて、方角を調べた事だった。本来「鬼門」などいうものは京都の盆地の中で吹く風向きの関係から便所の位置を決めるために出来たと聞いているので、そういう意味で蹴飛ばしてしまえばそれまでなのだが、12年も待っていた狸君の事を考えると、こだわれるものならばこだわってみたいと思い方角を決めた。何でも屋根の方向も、神社仏閣それぞれで傾斜部分を前にするか横にするかが違うらしく、その辺は勉強すれば良いようなものだが全面的にお任せすることにした。売り出し1日目の3月2日。夕方になって増建さんから電話があって、狸君を持ってきて欲しいという。いよいよだなと思い、当日撮影を頼んでいた大川氏にお願いして、増建さんの作業場まで私と狸君を乗せて車を出してもらった。作業場に着くと祠はほとんどできあがっていた。狸君を入れるとさすがにピッタリで(オーダーメイドだから当たり前か)外側は桧張りで内側のベニヤの面を狸君に合わせてどうしようかと、いあわせていた増建さんの知り合いらしき人と一緒に悩んだ。お任せして店に戻って売り出しの続きに入った。
閉店までには来るはずの増建さんが閉店の8時を過ぎても来なかった。私はバイクにまたがると、すれ違わないように気を使いながら増建さんの作業場へと再び向かった。到着するとちょうど他の作業場から戻った大工さんと増建さんが祠に納まった狸君を見ていた。夕方来たときには内側がベニヤだったのだが、内も外も桧になっていて、屋根の斜面は木の伸び縮みの対策のために、篠竹が張ってあった。「なんだか、中に入れてみたらやっぱりベニヤじゃあかわいそうになってさ。」
打ちつけられた杭の上に狸君の入った祠は据えられた。予定通り3月3日3時に増建さんの奥さんの手で序幕をしていただいた。夜は格子状の蓋をするのだが、「持っていかれたりいたずらされたりしない?」とみんなに心配されている。でも私自身は結構安心している。みんなが心配する側にまわっているのだから、いたずらする人なんて残っているわけがないものな。
|