店頭のカメラを持った信楽焼のタヌキ君の兄弟をさがして
   ●タヌキ君の兄弟を捜して!! 中野の兄を求めて走った1日
   ●タヌキ君がやってきた ドーバーフォトの信楽焼のタヌキ君はこのようにやってきた

タヌキ君の兄弟を捜して!!

店頭紙DAUBER 1994年9月号〜11号に掲載

 ドーバーフォトの前に、カメラを持った信楽焼の狸が桧で出来た祠に入っています。1992年1月13日(友引)に買ってきました。中野の方の写真屋さんが特注したときの予備で、その時点で12年前と狸屋さんが言っていたので、今から数えると14〜15年前に作られたことになります。この「中野の方の写真屋」というのが問題で、簡単に見つかるだろうと商用パソコン通信Niftyにのせたり、問屋さんに問い合わせたりしたのですが尋ね当たりませんでした。結局そのまま2年半もサボってしまったのですが、8月14日に店が休みなのに誰も遊んでくれなかったので、3時半にバイクを飛ばして中野の方を回ってきました。
 お盆で道がすいていますから、原付でも1時間ぐらい。中野と言っても広いのでどうしようかと考えたのですが、たとえば中野区の中野の駅から離れたところの写真屋さんだとすれば、「中野の方の写真屋」とは言わずに別の言い方をしたはずではないかと勝手に推理し、中野の駅周辺から回ることにしました。結構老舗っぽい店が営業していたのですが、簡単に見つかる気がしていたので最初は写真屋さんには行かずラーメン屋さんに入って、 とりあえずチャーシュー麺と餃子を食べました。食べ終わってから会計の時に聞いてみました。「中野の方の写真屋さんっていう事だけわかっているのですが、カメラを持った信楽焼の狸の立っている写真屋さん知りませんか」さらにいきさつを加えると、レジのおばさんから若手・ご主人、そのうちお客さんにまで話しは広がったのですが、結局誰も知りませんでした。「この先の写真屋さんは古い人だから知っているかも知れないよ。行ってみたら」と言われ店を出ました。やっぱりそうだよな、写真屋さんを回ってみるか。商売敵として警戒されるのではないかと不安な気持ちを少しだけ持ちながら、最初の写真屋さんに足を向けました。
 バイクを転がして行っても良いぐらい近い最初の写真屋さんは、コダックの看板が大きく掛かっている店でした。コダックの看板のかかっている写真屋さんは老舗が多いものです。今は、どのメーカーでも区別のつかないぐらい綺麗に写りますが、昔は逆立ちしてもコダックにかなわない時代があったからです。どんな反応が来るのかと、おっかなびっくりで声をかけると、いかにもベテランといった感じの穏やかな親父さんがでてきました。「すいません客じゃないんですけど」と前置きをした後、売り込みと勘違いされないように間髪入れずに「中野の方の写真屋さんでカメラを持った狸の置物が置かれた店を捜しているんですが」と付け加え写真を出して見せました。「はー、この写真のが立っているんですか」「いえ、それは私の店の前に立っています。実は私も写真屋なんですが......」と、いきさつなどを話しました。「こんな物立てれば話題になると思うけれど、聞いたことないなー。もし、話がでたら連絡しますよ」名刺をおいて店をでました。いきなり老舗の、しかもどうやら中野区の写真屋の組合でも力のありそうな親父さんに「聞いたことない」と言われ、少しゴールが遠ざかった気がしましたが、商売敵として警戒されることは無さそうだという収穫をえて、つぎの店に向かいました。
 次の店も、いかにも昔からあるといった店でした。店に入った時、ちょうどお客さんがいてDPEの受渡しをやっていたので店内を観察しました。店内の大きさはドーバーフォトとさほど変わらないのですが、その商品種の多さには驚きました。量販店でも扱っていないのではと思われる8ミリフィルムだけでも何種類か置いてあり、暗室電球が5個も(不良在庫だとは思うが)ありました。ショーケースには、カメラだけでなくスライド映写機まで何台か並べられていました。お客さんが帰ったので前の写真屋さんに言ったのと同じせりふで挨拶すると、やはり同じように興味深そうに写真を見て「こんな粋なものを店に立てれば、かなり話題になるだろうけれど、聞いたこと無いからなー。無いんじゃないかな」
親父さんは狸よりもむしろこの御時勢に若いのが店を出したということに興味があるようで、身を乗り出すようにいろいろ質問してきました。マッキントシュで合成してつくった写真名刺を出して「デジタル処理を使って修正や合成に手を出しているんですよ」と宣伝かたがた説明すると「そうだよな、これからは何か特徴を出さなきゃなー」と嬉しそうに答えました。
「すごい在庫ですねー。今時8ミリフィルムなんか置いている店ほとんどないですよね」というと
「親父の代から60年もやっているからね。こういうのを置いてあるのを知っていて来るお客さんも多いんだよ」と答えが返ってきました。それこそが特徴だと思いました。2軒の店はどちらも年数はたっていますが、決して古くさいイメージを感じさせず、店を創って行くことが嬉しくてしょうがないといった意気込みが感じられました。
「この近辺の写真屋は、だいたい知っているつもりだから、中野っていってもはしっこの方かも知れないよ。中野には駅が5つあるからね」
中野に駅が5つというのは意外と少ないので驚きました。東村山には9つも駅があるからです。5つなら回りきれないこともないと思い、中野の駅から離れてみることにしました。
 中野の駅から離れてどの方向に行ったかは書かないことにしましょう。とにかく大きな交差点の角の、それだけ聞けば最高の場所にある写真屋さんです。その大きな交差点は本当に大きな交差点で、交差するどちらの道も誰もが知っているような交差点です。けれどもその写真屋さんは回りのビルには不似合いな平屋で、入口も一間ほどで自動ドアではなくガラスの引戸で、最初に通ったときは休みだと思ったのですが、一応引き返してのぞいてみました。ウインドウにある見本はずいぶんと昔のものらしく、中も引っ越し途中の部屋みたいに散らかっていました。
「ごめんください」
誰も出てこないと思って声をかけたのですが、それこそ新宿の地下の段ボールからはい出すように、暗室らしきものに頭をつっこんで寝ていた髭面が出てきました。
「へー、東村山から来たんだ。俺も昔は隣の小平にいたんだよ。タバコ吸うかい。いや、あなたの体格だと吸っていないよな。その狸見つけたら買い戻すつもりなのかい?」
人里はなれて暮らしていた人が久々に話すかのように次々と質問をしてきました。さっきの写真屋さんと同じように、今の御時勢に若いのが新規に写真屋を構えたことに興味を持っているのですが、興味を持つ角度がだいぶん違うような気がしました。
「もうこの業界は駄目だよ」
業界が駄目だと言ってしまうことは、その人だけでなく私にも駄目だと言っているのと同じだということに気がついていたでしょうか。常に笑顔で接してくれた店主でしたが、話した話題と笑顔のギャップを埋めるものは、もしかしたら近くまで来ている道路脇の工事による地上げ待ちによる、歌の「まちぼうけ」の主人公のような状況なのではと思いました。
 中野の駅から遠い、それでも中野区の中を捜すため、今度は新井薬師前に行きました。西武新宿線では新井薬師前・沼袋・都立家政・鷺ノ宮が中野区になります。(おかしいな、中央線の2駅を足すと6つある)すでに夕闇が迫っていて、駅の回りはネオンや街頭に照らされています。駅から南に走ってしばらく行くと住宅地の中にシンプルなつくりの写真屋さんが開いていました。もしかしたらほかの店のDPEも集めて処理しているのかも知れないその店は、DPE一本やりの店らしく、フィルム以外の商品はほとんどおいてありませんでした。しかも町名を見るとぎりぎりで新宿区に入っていたので、声をかけようかどうか悩みましたが一応入ってみました。 「確かに新宿区だけど、中野区の組合には入っているんだよ。しかしなー、これだけ粋なことやれば有名になると思うんだけど聞いたこと無いからなー。無いとは思うけれど、今度組合の集まりの時に聞いてみるよ」
名刺をおいて帰りました。沼袋前の周辺は道が入り組んでいて、車で来たらきっとバックの連続で首が疲れてしまったことでしょう。
 ごみごみした商店街のはずれに一軒の写真屋さんを見つけました。開け放された入口を入ると夕食中らしく、中からいい臭いが漂ってきました。ちょっと悪い気はしたけれど声をかけてみました。最初に奥さんが出てきて、話しているうちに旦那さんも出てきましたが、どちらも狸のことは知りませんでした。特に興味を持った様子もなかったので、お礼だけ言って出てきました。
 8月14日というたいへん暇な日に開いていた写真屋さんばかりですから、みんな頑張っていると言った方が良いのでしょうが、色々な写真屋さんがありました。いかにもやる気ばっちりの店もありましたし、店をたたむ寸前らしき雰囲気の店もありました。のんびり構えている店もありました。けれども、少ないサンプルなので一概にはいえませんが、私のように最近店を出したり若い2代目がついでいるといった店には当たりませんでした。45分仕上げの機械を入れてガラス張りでしゃれたつくりのDPE専門店は、主にチェーン店の形態で次々オープンしているようですが、撮影もしっかりこなしてカメラの説明も暗室作業もできる、いわゆる「写真屋」が新しくオープンするというのは本当に少ないようです。どの店でも驚かれてしまいましたものね。
 そう、狸君の話でした。狸君の兄弟は見つかりませんでした。1日捜しただけですからもちろん不十分です。けれどもベテランの店の人や組合の人が皆「聞いたことない」というのですから、中野には本当に無いのではとも思います。でも、どこかにはあると思います。例えば聞き間違いで、近いところでは「中井の写真屋」だったり遠くでは「長野の写真屋」かも知れません。写真屋さんの名前が「中野さん」だった可能性もあります。どんどん無くなっていく写真屋ですから、店ごと無くなってしまった可能性も高いのですが、わざわざ造ったものですし、人気者になるはずですから、どこかに狸君の兄弟は残っていると思うのです。また捜して見ようと思います。誰も遊んでくれる人のいない、休みの日の午後に。


こんなタヌキ君の兄弟を知っている方、情報をお持ちの方は、ぜひドーバーフォトまでお知らせ下さい。見つけてくれた方にはフイルム111本を差し上げます。皆様の情報をお待ちしています。

タヌキ君がやって来た

狸君のお話 店頭紙DAUBER1992年2月号掲載

 店の前のレストランブランコで友人と雑談していたとき、店を目立たせるために信楽焼の狸を、今や私のトレードマークになっているズボン釣りを(今はオーバーオールのジーンズがトレードマークになっている)つけて置いてはどうかなどという冗談を話していたのだが11月の中ごろだったと思う。冗談を本気でやってしまうのが私の持ち味だと思っているので、以前から田無のあたりに狸屋が(タナシのタヌキなんてできすぎてると思わない?)有るのは知っていたので、たまたま保谷方面に用事で出かける当店期待の新人=岩渕君に視察に行ってもらった。帰ってきたとき嬉しそうな顔をしているので聞いてみると、何とカメラを持った狸が有ったと言う。ただし少し予定していた物より小さかったようなのでやはり自分で見ようと出かけたのが雪の12月27日の事であった。ところが年末でもう閉まっていたのでそのまま引き返した。
 年もあけて7日の事だったと思うが、もう1度出かけてみたら年始は11日から店をあけるという何とものんびりしたお店。それでも入口の所から中を見ることは出来たので覗いてみると、信楽焼の狸はというのは傘をつけていたりトックリを下げていたりで意外と横幅がある。これならば少しは小さい方が良いかなと思って探してみると、いたいた。少し左のいちばん前にトックリを下げて前に出した両手にしっかりと黒の1眼レフカメラを持った狸君が。そのカメラが余りにリアルだったので一目で惚れ込んでしまった。隣にいた岩渕君が喜んだ事喜んだ事。
 13日。今日こそはと2人で買いに行った。中に入ると店の親父は狸そのもので「これがほしいんだけど」と言うと突然顔色が明るくなって「あなた、カメラ屋さん?」
 親父さんの話によれば12年前に中野の写真屋さんからの注文で造ったとき、焼くときに割れるのを心配して大小2体つくったうちの小さい方で、それ以来きっとどこかのカメラ屋さんが買ってくれだろうと、雨風の中で12年間待っていたのだそうだ。
 縁起ものは値切った方が良いなどという話もあるのでぎりぎりまで値切って買ってきて、13日が友引だったのでとりあえず店頭にお立ちいただいた。もともとは気楽に階段の上にでも置こうかと思っていたのだが、壊したら2度と手に入らないものなので祠に入れて警備システムを導入してなどと思案をめぐらせている。町の名物になるようだと良いのだけれど。

狸君のお話 その後(1992年4月号掲載)

 私のキャラクターに合わせて狸の置物をと探していたら、カメラを持った狸が見つかってしまったという経緯は、2月号に載せたとおり。11月の中ごろから話は始まって、今年の1月13日にドーバーフォトにやって来た。最初はズボン吊りと眼鏡をつける予定であったが、そんないたずら心で装飾してはもったいないほどの代物。いまだ見つからない中野の写真屋さんが12年前に注文したときの予備で、12年間私が来るのを待っていたのだななどと思うと下手な小細工はする気になれない。さんざん思案したあげく祠に納める事にした。その時は祠という言葉も私の頭の中では死語になっていて「お地蔵さんが入っている建物?は確か祠って言うんだったよな」などと認識して、以前より懇意にしている(株)増建の社長さんに頼んだ。個人的にも仕事上も、たくさんの建築屋さんと付き合いがあるのだが、古風な木造の物を造ってもらうのにピッタリだったのと、こんな冗談みたいな話を持ちかけてよさそうな人が他に考えられなかったからでもある。増建さん(と、みんなが呼んでいる。本人も「増建と呼んでください」と自己紹介をする。)は狸君を興味深そうに見ながらメジャーをポケットから出して寸法をはかっていた。
 1月の後半、3周年売り出しの企画を組んでいるときに、新しくなった商店街の街頭の完成を記念して2月11日に青空市場をひらく事が決まった。どんなものを目玉にしたらお客さんに来ていただけるだろうとか、赤字の部分をどうするとか話し合っているときに「ドーバーフォトさんはどんなものを売るつもりですか」と聞かれたので(普段からバカげた行動で眼を引いているので、一斉に視線が注目して気持ちが良かった)「顔を売りたいと思います」と答え、「狸神社の境内で」という企画で狸君を囲んでコマやヨーヨーなどのおもちゃを実演販売したいと話した。ドーバーフォトの新人=岩渕君の発案である。狸君を中心にしておもちゃを売って、買ってくれた子供を狸君の一緒に写真を撮って、無料で配ろうという企画だ。わたす日を3周年売り出しの当日にするなどという商魂のたくましさも忘れてはいない。
 必然的というか強引というか、青空市場を売り出しのプレイベントにする事にしてスタートしたため、祠の除幕式をピッタリ3周年に当たる3月3日3時に合わせようと企てた。すぐに増建さんに連絡した。
 しばらくして売り出しも近づいた頃、いささか心配になって増建さんに連絡した。「いやー、そろそろ手をつけようかなって思ってたんだけど」と、相変わらずの気楽さで返事が来て、さらに何日かして細かい打ち合わせに来てくれた。さすがにプロだと思ったのは方位磁石を持ってきていて、方角を調べた事だった。本来「鬼門」などいうものは京都の盆地の中で吹く風向きの関係から便所の位置を決めるために出来たと聞いているので、そういう意味で蹴飛ばしてしまえばそれまでなのだが、12年も待っていた狸君の事を考えると、こだわれるものならばこだわってみたいと思い方角を決めた。何でも屋根の方向も、神社仏閣それぞれで傾斜部分を前にするか横にするかが違うらしく、その辺は勉強すれば良いようなものだが全面的にお任せすることにした。売り出し1日目の3月2日。夕方になって増建さんから電話があって、狸君を持ってきて欲しいという。いよいよだなと思い、当日撮影を頼んでいた大川氏にお願いして、増建さんの作業場まで私と狸君を乗せて車を出してもらった。作業場に着くと祠はほとんどできあがっていた。狸君を入れるとさすがにピッタリで(オーダーメイドだから当たり前か)外側は桧張りで内側のベニヤの面を狸君に合わせてどうしようかと、いあわせていた増建さんの知り合いらしき人と一緒に悩んだ。お任せして店に戻って売り出しの続きに入った。
 閉店までには来るはずの増建さんが閉店の8時を過ぎても来なかった。私はバイクにまたがると、すれ違わないように気を使いながら増建さんの作業場へと再び向かった。到着するとちょうど他の作業場から戻った大工さんと増建さんが祠に納まった狸君を見ていた。夕方来たときには内側がベニヤだったのだが、内も外も桧になっていて、屋根の斜面は木の伸び縮みの対策のために、篠竹が張ってあった。「なんだか、中に入れてみたらやっぱりベニヤじゃあかわいそうになってさ。」
 打ちつけられた杭の上に狸君の入った祠は据えられた。予定通り3月3日3時に増建さんの奥さんの手で序幕をしていただいた。夜は格子状の蓋をするのだが、「持っていかれたりいたずらされたりしない?」とみんなに心配されている。でも私自身は結構安心している。みんなが心配する側にまわっているのだから、いたずらする人なんて残っているわけがないものな。

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