ひねくれ写真講座

猫は写真を撮らない
 仔猫の時は更に激しかった。次々と家具をどけて日焼していない畳の部分が現れる度に、悲しそうに泣いては、鼻先を畳にこすりつけた。まるで引っ越しを邪魔するかの様に私の足にまとわりつき、自分が生まれて育った村がダムの底に沈むのを、自らの非力を嘆くかのように、いつになく長めの声で私に抗議した。店を持つことが決まり、少しでも余計な経費をかけまいと、今まで上下2件借りていたアパートのうち、仔猫が生まれ育った2階を引き払った1月末のことであった。
 仔猫がもらわれていき、そして6月24日、ついに残る1件の荷物をまとめているとき、さすがに親猫は仔猫ほどは騒ぎはしなかったが、高い位置から私の動作をじっと見守っていた。
 「猫は家につく」と人は言う。だが猫を飼っている人でそのようなことを言う人は、まったくいない。だが、確かに言えることは、猫の生活環境が変わるということは、例外なく猫自身の意志に関わりなく、外的要因によって行われ、そしてその環境に適応するために、人間には考えられないほどの大きな精神的変化を強いられるということだ。
 猫は人間と違い、自分の生まれ育ってきたその奇跡を形にして残すすべを持っていない。もし人間が記録を残すという技術を持っていなかったとしたら、おそらく猫以上に生活環境が変わることを恐れることだろう。


ネコ捜して!!

 この原稿は、1989年6月25日の晩に書いた。4日目に当たる28日、猫は網戸の隙間から逃げてしまい、7月6日現在、未だ行方不明である。雌・2才・小柄。背中の毛は焦げ茶色で1本1本が3色に分かれており、腹は白。見かけはブレッキーズのパッケージにそっくり。鈴の付いた赤の首輪と、蚤採り用の緑色の首輪の2本を付けている。名前は「純子」。誰にでも良くなつくが、エンジン音を極端に嫌う。秋津3丁目から新座市野寺5丁目間で迷子になっているものと思われる。見つけてくれた方には十分なお礼をします。もしこの原稿を読んだときに、すでに飼っているのであればそれで結構です。ぜひドーバーフォトまで御連絡ください。ただ、消息が知りたいだけです。

 

ドーバーフォト  代表 近藤 誠

以上1989年7月7日発行 DAUBER 3号掲載

イントロダクション
 佐藤氏はスナックのチーフで、テレビの音楽番組のディレクターであったという経歴もある。結構ひたしかったが、家にお邪魔したのはずいぶん後のことで、「猫がいるから」と、左手をドアの隙間に当てがって戸を開けた。中に入ると、初対面とは思えないほど慣れ慣れしくすりよってきた猫。それがこの日記のヒロイン「ジュンコ」である。

第1話 引越し
 「ジュンコつかまえたから来いよ」と佐藤氏から電話があった。その数日前に寿司屋で一緒に飲んだときに、アパートの事情で飼えなくなったことを聞き、近いうちに譲り受けることになっていたのである。とにかく初対面で惚れ込んでいたから、何の準備もできていないのを承知の上で、佐藤氏のアパートへと向かった。1987年9月6日。残暑のきびしい午前中のことであった。
 もともとジュンコは、佐藤氏と寿司屋の大場氏によって拾われた迷い猫である。やっと歩けるようになったばかりの頃、二人についてきてしまい、仕方なく飼うことになったのだそうだ。ジュンコという名前は二人の行きつけのスナックのママさんの名前なのだと、その後1年以上にわたって信じさせられていた。ママさんが「順子」と書くからジュンコも「順子」であると認識していた。ところが本当は、飲み友達の「純子」からもらった名前だそうで、面倒なのでカタカナで「ジュンコ」だということにしておく。ジュンコはブレッキーズのパッケージにそっくりで、しっぽが長く動きはすばやい。誰にでも良くなつくが、エンジン音を極度に恐がる。生まれはわからないが、最高の食事で育った。寿司屋の余り物をスナックのチーフが調理していたのだから。当然毛並は最高で、主治医から 「いい毛皮になるなあ」と、言われていた。
 トイレは、佐藤氏よりもらってきた段ボール箱を写真の現像バットの中に入れた。餌はガラスの皿を使い、外の景色を見るために網戸を新調し、足場をつくった。その足場に使った画板が佐藤氏の物だったからか、外が見たいからか、そこがジュンコのお気に入りの場所になったようであった。

1989年8月8日発行 DAUBER 4号掲載


第2話 ジュンコ外に出る
 最低でも2週間、できれば3週間は閉じこめ、常に外の景色を見せて自分の家を覚えさせるように言われていたので、律儀に守っていた。もちろん首輪に紐を付けて外を歩かせたりはしたが、犬と違って猫はなかなか自分から歩こうとはしない。引っ張ればふんばるし、車がくれば引っ張るし(ジュンコはエンジン音が大嫌い)、抱き上げても車がくるとひっ掻くし、とにかく大騒ぎであった。室内では欲求不満になり、日々の生活が格闘技と化し、タンスの上から腹の上に飛び降りられれば、胃袋が口から飛び出しそうになり、噛まれたり引っかかれたりで、私の手足は傷だらけに、布団は血だらけになった。
 9月6日に同居を初めて、9月20日。高校時代の演劇部のOB会の飲み会に出かけようとしたとき、ちょうど2週間目であることに気がついた。ジュンコを外に出し、以前から出入口にしようと考えていた流しの上の窓を20センチほど開けて、祈るような気持ちで家を出た。
 数時間して帰ってきたとき、ジュンコは私の布団の上に座っていて、一声「ニャー」と鳴いた。

1989年9月9日発行 DAUBER 5号掲載


第3話 家出その1
 ジュンコが帰ってこなくなった。
 埼玉県とはいえ、東京まで2mのところに住んでいたので、朝霞保健所と田無保健所の、両方に行った。
 「犬と違って猫は捕獲できないんです。きっと帰って来ますよ」と、どちらも同じ暖かい返事が返ってきた。「きっと帰って来ますよ」の言葉を信じて待っていた。
私の住んでいたアパートは、1階が3Kバス・トイレ付きで37000円。2階は1階の半分で、トイレ付きの2Kで15000円。2件のアパートあわせて実に7部屋52000円の超ボロアパートだった。もともと別々なので、階段は外についていて、目いっぱい占有面積をけちったその階段は、掛け値なしに60度あって、ほとんどハシゴであった。1階は仕事場で、フィルムの上に水などこぼされたりしてはかなわないので、私のいないときジュンコは出入り禁止。ふだんは2階で暮らしていた。60度の階段を駆け上がるときに鳴る鈴の音。そして入口である窓へ130センチもジャンプする時の音。そして「ニャー」と一声。これが帰ってきたときの合図である。それに対し、もらった自転車の(これが実に、酒を飲みに行くためにと飲み屋さんからもらったものだ。感謝。)油の切れた音。スタンドを掛ける音。キーホルダーの音。これがジュンコにとっての、私が帰ってきたという合図である。2階に居れば窓枠に駆け上がって「ニャー」と答え、外に居れば鈴を鳴らし全力で駆け寄ってきて足に頭をこすりつけながら「ウニャン」と。
キーホルダーを振りながら帰るようになって3日目。窓枠に立って「ニャーーー」と答えたジュンコの声は、いつもの数倍も長かった。

1989年10月10日発行 DAUBER 6号掲載


第4話 家出その2
 ジュンコは30分に一度は戻ってきて窓枠の上で「ニャー」と鳴く。3時間以上帰ってこないと家出とみなされ、6時間を過ぎると捜索が始まる。捜索と云っても大した事は無い。雌猫の行動半径はそれほど広くは無いから、家を中心に50メートルぐらいのところを名前を呼びながら歩く。「ジュンコ」とフルネームで呼ぶのが恥ずかしいので、「ジュン」と呼ぶ。
 「昼ごろから帰ってこないんだよなー。」夜10時過ぎ、いつもの店で焼酎のお湯割を飲みながらマスターに言った。「また2〜3日で帰って来るんじゃないの」とマスター。
 したたか酔って自転車で帰路についた夜中の2時半頃、100メートルほど手前からキーホルダーを振り「ジュン」と呼びながら進む。
 もしかしたら首輪が木の枝にでも引っかかっているのでは。もしかしたら中学の校庭で....。と、わが家から2メートル先の県境を越え、50メートルほど離れたS中学の柵を、酔った勢いもあって何のためらいもなく乗り越え、「ジュン」と叫ぶ。気のせいか聞き違いか、微かに「ニャー」と聞こえる。もう1度呼んでみる。気のせいではない。何度呼んでも答えが返ってくる。どうやら校舎の方から聞こえてくるらしい。校舎に近づく。何度も呼んでみる。近くにいることは間違いない。
 しばらく走り回る。返事はあるが、どうも声の方向がはっきりしない。校舎から少し離れて呼んでみる。「ひょっとすると」と思い、階段に作られた机のバリケードをどけて、2階のベランダに上がる。なんとなく近づいたような気がする。3階に上がる。声のトーンが変わる。教室を覗きながら走る。3部屋目。ジュンコはそこにいた。
 素手でガラスを割り、鍵を明け、ガラスのかけらの上を歩いてくるジュンコを抱き上げる。私の手から流れた血で、ジュンコは真っ赤になった。すぐに階段を駆け下りてジュンコを下ろすと、一目散に畑にかけていき用を足した。限界までガマンしていたらしい。頭に血が上った。
 自転車に乗るとマスターに知らせるためひばりヶ丘に走った。店はもう閉まっていた。近くを走っているとマスターの自転車があった。かけ込むように店内にはいると驚いた顔のマスターにまくしたてた。一通り私が話し終わるとマスターが言った。
「近藤君、話はわかったからトイレで鏡を見てこいよ。お客さんみんな帰っちゃったじゃないか」
見回してみると、入ったときにいた他のお客さんは誰もいなかった。鏡を見ると私の顔は血だらけになっていた。

1989年11月11日発行 DAUBER 7号掲載(一部追加)


第5話 男
 ジュンコは美しく可愛い気もあるし、いま流行のスレンダーギャルであるから、男は選びたい放題である。年頃になると常に2・3人がつきまとっていた。男ができるまでは30分に一度は返ってきていたが、ついには外泊することもあるようになった。
 ジュンコの相手の中で、特に婿候補になり得そうなのは(断じて嫁には出さない)3人。私はその3人に、私の所属している合唱団のメンバーの名前(あだ名)をつけた。
 体は大きいがテナーで歌う「クマ」。ジュンコがいなくても上がり込んでいる「デミ」。若くて毛並がいいが、今一つ何を考えているのかはっきりしない「アラタ」。ときどき他のメンバーを交えながらも、その3人は常にジュンコの回りにいた。
 ジュンコの男遊びは夜毎に激しくなり、男たちが家に上がり込むことも多くなった。そしてある日、クマとアラタが、眠りについている私の枕元で、ジュンコをめぐって口げんかを始めてしまった。やがて大音声となり、我慢も限界にきた私は、男たちを怒鳴りつけた。しかし女のことで戦っている男たちは根性がある。二匹の首をつまみ上げて、外に出した。ジュンコはほっとしたようであった。
 できればアラタが婿になれば良いなと、私は思っていた。

1989年12月12日発行 DAUBER 8号掲載


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