第17話 トトロの森へ...
 11月20日、ラビがえさを食べなくなったことに気がついた。2日ほど前から何も食べていない。水もあまり飲んでいないようだ。以前食欲がなかった時に食べさせた、かつおのなまり節を買ってきて与えてみたが、まったく食べない。マタタビをかけてみたが、ちょっとなめる程度。
「食べないと死んじゃうんだよ。少しでもいいから食べて!」
と、色々な缶詰をあげてみる。ハムやチーズなども少しちぎってはラビの口元に持っていくが、匂いを嗅ぐぐらいで食べようとしない。猫エイズのため口内炎ができているから、痛くて食べられないのだろうか。このまま食べれない日が続くようなら、病院へ連れて行こう。
 11月23日、やはり食欲のでないラビ。苦しがって、訴えてくる。いつもとは違う鳴き声で、「お〜ん!お〜ん!」と私に向かって鳴いている。彼が、苦しがる赤ん坊のような声だと言った。そんな声で鳴いた後、何も食べていないから胃液を吐く。苦しそうで、辛そうだ。私には何もできない。せめて痛みが和らげばと、おなかをさする。しばらくすると落ち着いてきて、ファンヒーターの暖かい風が当たる、台所の彼のいすの上にうずくまり目をつぶった。彼に「起こさないでやって。」と言うと、別の椅子を持ってきて座ってくれた。苦しがっているラビを優先させてくれたのだ。その日も友人が泊りに来てお酒を飲んだので、別室で休むことになった。私は次の日も会社だったので、早めに休むことにして先に布団に入った。やがて、ラビも潜り込んできた。
「早く元気になって、新しいおうちの周りを一緒に散歩しようね。」
と、いつものように体中をなでながら話し掛け、一緒に眠った。
 11月24日、会社から帰るとラビの様子がいつもと違う。かなり苦しがっていて、しきりに外へ出たがる。よろよろとしか歩けず、苦しそうに鳴いている。彼は会議に出席するため、立川に出かけていた。なでたり、さすったりしているうちに次第に落ち着いてきたが、あまり長くは続かない。またすぐ、外へ出たがる。猫は死ぬ時、姿を消すことがあると聞いたことがある。まさか、と思ったが、そのことが頭から離れない。
「ラビ、死なないでよ。これから一緒に幸せになるんでしょう?お願いだから、死なないで!」
ラビと一緒に泣いていた。彼はまだ帰ってこない。9時過ぎには終わると聞いていたので、携帯に電話を入れた。ただならぬ私の様子にラビのことと直感したようで、
「とにかく落ち着いて。40分くらいで戻るから」
と言われ、ラビを横目に見ながら落ち着こうと努力していた。電話が鳴ったので出てみると彼からで、
「104に電話して、近くの動物病院に見てもらえるか聞いてみて」
と言われ、104で市内の動物病院の電話番号を片っ端から教えてもらった。その中で、彼から以前に聞いていた病院に電話した。今すぐ来られるのなら見てくれると言うので、場所を聞いて支度した。ラビをいつも入れて出かけていた袋に入れる時、ふとラビはもうこの家に帰ってこれないかも...と思った。水を飲んで、気持ちを落ち着かせ、彼に電話して、説明し、バイクに乗って病院へ駆けつけた。
 病名、ガン。触診だけで、先生はそう言った。1年前に気になっていたしこりが、心配したとおりになった。しっかりしなくては、と自分を奮い立たせ、いろいろ説明を聞く。医療事務を長くやっていたせいで、薬の名を聞いただけでラビの症状が分かってしまう。彼が病院に着いたとたん、涙が零れ落ちた。先生は、
「とにかく一週間時間をください。結論はそれからです。」
と言った。お礼を言って、お会計で払った金額は、以前の病院の3分の1。驚愕した。家に着いて、また泣き出してしまった。ラビが帰ってこられたのが嬉しかった。苦しむようなら、安楽死も考えていたのだ。とにかく先生の言うとおり、1週間頑張ってみよう。
「死なないで!神様ラビを連れて行かないでください」
お祈りをして、ラビとともに布団に入った。鎮静剤が聞いているのだろう。静かに寝入ったラビの顔を見ながら、また涙が出てしかたなかった。
 11月25日、病院へ行って注射を打ってもらう。ラビは帰りの袋の中でおしっこをした。ラビは相変わらず、子どものような声で訴えてはくるが、吐くことはあまりない。餌を食べられないことを告げると、流動食の缶詰をくれた。注射器で与えるのでかなり嫌がるが、少しでも食べさせないと体力がなくなると思い、時間をかけてゆっくり少しづつ食べさせた。幸い吐き気はおさまったようで、何とか受け付けてくれる。少しでも側を離れると、甘えたような声で呼ぶ。そのたびに飛んでいって、抱いてやったり、なでてやったり。やがて落ち着いて眠る。このまま快方に向かってくれることを祈った。
 11月26日、足元がふらつくようになった。よろよろとしながらも家の中を歩いている。それでも苦痛を訴えるような声は出さない。快方に向かっているのかと嬉しくなった。会社を休めない私に変わって一日何度となく仕事中の彼が家に帰って、注射器で流動食を与えてくれる。よたよたしながらも歩いて何度も鳴いていたそうだ。私を探していたのだろうか。夕方になって、帰宅途中の私に電話が入った。「何があったの?」と聞いた私に、彼は「とにかく早めに帰ってきて」と言った。ラビが死んでしまったのだろうか。私はバイクを運転しながら、必死に祈った。
 帰宅すると、動けなくなったラビがいた。昼間はよろよろしながらも動いていたのに、私の枕の上にうずくまって動こうとしなかったそうだ。急いで病院に連れて行く。注射をしてもらい、水も自力では飲めないので注射器で与える。私はラビに付き添っていて、家事がほとんどできない状態。彼が洗濯、炊事なんでもやってくれるので、甘えることにして、ラビの側をなるだけ離れないようにしていた。

 彼の日記より......11月27日、「ラビはいよいよ元気が無く、布団の上にうずくまっている。流動食を与えると何とか飲み込んでくれはするが、ほとんど歩く力もない。それでも苦痛を訴えることはなく、薬が効いているのかとも思う。

 会社から帰宅し、ラビを連れて病院へ。今日1日の症状を説明してもらうため、彼にも来てもらった。特に深刻な話にはならなかった。
 食欲さえ出てくれれば、せめて自力で水が飲めるようになれば。そんな思いで、時間をかけて流動食を食べさせる。夕食の途中でもラビが鳴くので、そのたびに中断して声をかけたり、なでてあげたりする。私たちも頑張るから、ラビも頑張れ!希望は捨てない。ラビが少しでも生きようとしている限り。一緒に散歩しよう。ラビの大好きなひなたぼっこしよう。お願いだから、良くなって!神様、ラビを助けて下さい。叫びにも似た祈りを神様にささげた。そうだ、願をかけよう。この日からたばこを止めた。
 11月28日、土曜だが出勤の日。彼がまた昼間に帰ってきて、ドアを開けて声をかけたら珍しくラビが鳴いて答えたそうだ。

 朝でかける時は布団の上だったが、台所のマットの上にうずくまっていた。「涼しい所に行きたがるが、暖かくしてやって下さい」と、言っていた先生の言葉どおりだ。入れ物の中の水を入れ替えてラビを前におろしたら、いきなり水の中に朝食べたものを戻してしまった。すぐに口の周りをふいてやったが、今回は食べさせることをあきらめた。体温が低いので、ファンヒーターをいれて前に降ろしたら、嫌がって這うように離れた。もはや、普通に歩くことはできない。

 会社から帰ってラビの様子を聞いたら、
「元気はないけど、顔色は良かったよ」
猫に顔色って...。でも、気持ちは分かる。確かに気分はよさそう。一緒に布団に入って、いつものようになでていて、手を握ったら握り返してくれた。少しは元気が出てきたかな?とっても嬉しかった。私の腕の中に寝ているラビを挟んで、川の字で眠った。

 7時過ぎに目が覚める。暖房をつけっぱなしだから布団が乱れている。二人の間に寝ころんでいるラビはきちんと枕に頭をのせ、目を半ば開いてとろんとしているが何となく満足げだ。添い寝していれば夜中に鳴くこともない。布団をめくったらからだをピクピクと動かし、気持ちよさそうに大きく伸びをした。
「あ、伸びができるようになったんだ」
そう言っている2人の前で2〜3回咳をしてすぐにおさまり、それが最後で動くことはなかった。11月29日午前7時15分。泣きながら必死に心臓マッサージをする恵美子。ふさふさの毛の下が何となく動くような気がしたが、ラビの体は水を入れた風船のようにぐったりとしたままだった。恵美子は実家に電話で連絡した。
 まだ8歳の雄。目が真っ赤に晴れ上がった子猫が恵美子に拾われて、その真っ赤な目からラビット→ラビと名付けられた。ストーカーに追われた年間7回の引っ越しにつきあって、最終的に9回もの引っ越しを経験させられたラビは、猫としては幸せな方ではなかったかもしれない。
 飼い主である恵美子が結婚して、やっとこれから静かな生活が送れると思ったばかりだった。ラビはまるで恵美子の生活が落ち着いたのを見届けたかのように逝ってしまった。
「ラビ、どうする?保健所でいいの?」
「保健所はいやだな」
「思い出の場所とかに埋めるか?」
「思いでの場所だと、ラビを拾った病院の裏だけれど、ととろの森あたりがいい」
まだ泣いている恵美子を残して店に出た。
 昼過ぎに、頼んでおいた母親が来たので、持ってきてくれた花とシャベルをもって家へ戻る。まだ布団で泣いている恵美子をせき立て、死後硬直が始まっているラビを、そのままの形でいつもの袋に入れて車に乗る。北山民家園前に車を止めて踏切をわたると、犬の散歩に来たたくさんのひとがいる。横目で見ながら山の奥に進み、道からはずれて小高い丘の上で日当たりの良さそうなところに場所を決めた。根のはった地面は小さなシャベルではなかなかはかどらず、泣いている恵美子の前で30分ほどかかって適当な穴を掘った。袋ごと入れようか、タオルでくるもうか、寒いから。そう考えていた恵美子だったが、「土に帰してやるんだから」という僕の言葉で気持ちを固めたらしい。うずくまった形のままのラビは、僕の掘った穴にぴったりと納まった。口元に餌を入れマタタビをふりかけ、顔の周りには持ってきた花をちぎってちりばめる。恵美子に最後を確認して土をかぶせ、周りから落ち葉を集めて目立たないようにした。
 下り坂の苦手な恵美子の手を引きながら丘を降りる。
「日当たり良いよね」
ぽつりと確認した恵美子。遊歩道になっていて人通りが多いので、僕の後ろに隠れるようにして歩く。僕の顔だって見せられたものではないのに、こういうときに限り顔見知りとも会ってしまう。車に戻って行く先は動物病院。二人だけで来た様子を見て、助手の女の子は察した様子で、すぐに先生を呼んでくれた。お礼と報告に来たのだが、恵美子は泣きじゃくるばかり。最後にやっとありがとうが言えた。
 家に戻って恵美子は布団に座り込み、ラビが寝ていた場所をじっと見ている。しばらく一緒にいて、店に戻る。
 閉店後もどると、僕の帰るのにあわせて起きてくれたらしく、食事の支度をしていた。時間がかかりそうなので一緒にテレビを見るが、テレビの前に置かれていた首輪を手にして泣き出してしまう。食事をしてまた寝込んだので、僕は片づけをして、そろそろいたみそうな小松菜を、本と首っ引きでゴマ和えにした。恵美子も少しだけ食べてくれた。こういうときは、体を動かしているのが一番楽なんだ。

 ラビは幸せだったろうか。それとも......

第18話 猫って......
 しばらくショックが続き、泣き暮らしていたが、彼と彼の店で11月5日に生まれた小猫達のおかげで、なんとか泣かずにいられるようになった頃、夢を見た。見渡す限りの広い草原の向こうからラビがとっても嬉しそうに走ってくる。私を見つけて、真っ直ぐに走ってきて、両手を広げている私の少し前で止まり、2本足で立ちあがった。
「ありがとう、僕ねぇ、とっても幸せだったよ。おねえちゃんも幸せになって良かったね。今度はナギを幸せにしてあげてね」
そう言って、くるっと後ろを向きまた走っていった。こちらこそ、ありがとうだよ。こんなに広いお日様ぽっかぽかのあったかい場所にいるんだね。もう苦しくないんだね。うん。ナギも幸せに暮らせるように、おねえちゃん一生懸命頑張るよ。ラビもそこから見ていてね。さようなら。私の最愛の茶トラ猫。
 生後2ヶ月の小猫、ナギが家に来て最初にしたのは、写真を見せて、ラビを紹介すること。
「ナギのお兄ちゃんだよ。ラビって名前だよ。挨拶してね」
ナギは少しの間見つめていた。なにかおしゃべりでもしたのだろうか。
 ナギを飼い始めて初めてわかった。ラビとは打って変わって、暴れん坊のやんちゃ坊主。ラビを飼って約8年、1度もひっかかれたことはなく、かまれたことも無い私の手は、1日で傷だらけになった。
 彼にぽつっと言った。
「猫って、こういうものだったのね」
大爆笑している彼。私も大笑いしすぎて、涙が出た。