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2000年7月20日〜23日 大きすぎた阿蘇山
◆◆◆ 20日 ◆◆◆
 何とか予定通り4時半に起きて自転車で東村山駅へ。小平で小林さんと合流し、高田馬場経由で浜松町へ。パンとおにぎりを買ってモノレールで食べながら羽田空港に着。広すぎる全日空の窓口で合流するのに手間取り、危険物チェックでカメラバッグに入れたハサミが凶器としてひっかかる。ちょっとひと手間あってやっと搭乗。大嫌いな飛行機はサミット警備のためか約20分遅れて飛び立つ。
 右の窓際だったので富士山を期待したが、どうも内陸を飛んでいて、どうやら場所が分かったのは瀬戸内海。九州上空に入ってしばらくすると、草原地帯がぼちぼち見えて、もしかしたら阿蘇のあたりかと期待する。
 空港で下りると猛暑。レンタカーに乗って宅急便配送所まで着いた頃には九州の暑さを思い知る。予想通りメンバーの荷物は多くて(僕が一番多いのは毎度のことだが)、僕は最後尾の半分になった座席に座り込む。一昨年の北海道とおなじだぜよ。
 時代遅れのナビゲーターに翻弄されながら熊本城へ。日陰は満車の駐車場、炎天下に車をおいて天守閣へ。外から見れば格好良いが、中は近代的なコンクリートの階段と冷房。ちょっと興ざめする。
昼食は熊本ラーメン。地元の人に聞いて美味い店に行ったら、本当に美味い。久々にスープまで飲んだと山崎さんも喜んでいた。
 水前寺公園で気温は35度。吹き出す汗と、考えて見れば失敗の黒いティーシャツ。他のメンバーもジュースを補充しながら庭園を歩く。
 毎度のんびりの東京週末倶楽部の旅行だから、今日のスケジュールはこれだけ。スーパーで買い物をし、阿蘇のキャンプ場に進みながら付け足しの買い物をする。知らないうちに外輪山の内側に入ったらしいが、僕の想像する外輪山の内側は草千里。確かに見回すと周りはすべて山だが、地べたは田圃と人家の連続しかも外輪山だと思っているのは、カルデラの中を仕切る山とで囲まれた半分。イメージは裏切られたが、カルデラの大きさには改めて驚き。一同、カルデラが落ち込む前の阿蘇山の規模を話題にする。
 最初に行ったキャンプ場はテニスコート・プール・ホテルも有るリゾートで、オートキャンプ場も2500円のお大名コース。近くに500円の標準的キャンプ場が有るらしいので、もちろんそちらにする。
 テントをはって温泉に向かう。12億円をかけてつくったという村おこしの一環らしい温泉は、とても記念撮影などできない大きさ。まあ外なら撮れたかな。熊本城と区別が付かなくなるけれど。
 風呂にいるときに、常連らしきお爺さんに掃除のオジサンが言っていた。
「まだ落ちていないけれど、あと30分ぐらいだよ」
入道雲はおおきくなり、時折稲光が見える。揃って車に乗り込んだ頃からぱらつきだし、キャンプ場に戻ったときにはどしゃ降り。下りようとしたら、栗山さんが温泉に靴を忘れてきたという。どうせ下りても何もできないから温泉に戻り、ついでに市街地まで戻って不足しているものを買い込む。雨は直ぐに上がった。
 西の空に夕焼け。すでに7時を回っている。一昨年の網走では、9時近くになっても夕方だったが、あれは白夜のため。今回は南なのに日が長い。良く考えてみたら、これは時差のため。北に行くと白夜のために夕方が遅くなり、西に行くと時差のためにやっぱり遅くなる。この不思議は、帰ったら地球儀に光をあててみよう。
 食材を調理場に広げて乾杯。追いかけるように焼き肉の準備と野菜焼きの準備。途中から一昨年大好評のニンニク焼きを準備して、次々焼いていく。すべてが大好評で、最後は焼き蕎麦。もういいかげん満腹かと思ったが、見事にメンバーは平らげてくれた。
 大まかに片づけて呑んでいたら、品川ナンバーの男性が洗い物に来る。話し掛けたら、なんと月間写真興行のファンで、去年の1月号には執筆もしているらしい。何とも狭い世の中よ。1月号といえば新春座談会で僕の写真まで乗っている号だ。帰ったらメールをもらうことにして名刺をわたした。
 夕焼けが消えていった外輪山とは反対側に月が昇った。ミルキーウェイは残念ながら見えないが、雨の後の涼しくなった空気の中、虫の声と月の光と新鮮な空気、天然のマルチメディアが僕を包んだ。
◆◆◆ 21日 ◆◆◆
「ココなら大丈夫だろう」
そう思ってメガネをしまった場所が思い出せない。うっすら開けたらしい明るさの中で、いくら探しても見つからない。あきらめて寝て、しばらくすると、こんどは暑さのために目が覚める。僕のテントは土間付きのテントだから、土間との境を開けたら涼しくなった。
 テントの外は快晴の光になっていて、あきらめながらも探したら、カメラバグの横ポケットに入っていた。ほっと一息。
 片づけの合間に、味噌汁を準備する。昨日の残りの玉葱とキャベツの味噌汁。自家製味噌プラス赤味噌の評判は上々。
 村長に伊藤さんが挨拶して次の目的地に向かう。日本100名水の一つといわれる白川水源に行くと、中身が入っているより高い値段で空のペットボトルを売っていた。僕は昨日の温泉でペットボトルの飲み物を買っていたので、その飽きボトルに水をつめる。端を回るスマスマのゲームのようなセルフタイマーによる記念撮影。
 あとすこしでトロッコ列車がくると小林さんが言うので、そこし上流の駅、展望台駅経由で日本一名前が長いという「南阿蘇水の生まれる里白水高原駅」に向かう。外輪山に囲まれた特殊な平野を進む。目的の駅で時刻表を見ると、トロッコ列車は1日2本しかなくてレールバス。迎え撃ってみると、結構乗客は多い。ローカルだけれど、役に立ってるのだね。
 地元の人に聞いたら、近くに村営の温泉が有るという。そういうのに目の無い東京週末倶楽部だからすぐに向かう。ところがあまりに大きすぎて通り過ぎた。村営というと東京の人間はひなびた温泉を思い浮かべてしまうが、県下でも最大級の温泉。建物の中を流れる川などを含む庭園を通りすぎて露天風呂へ。昨日の12億円と比べてどうかはわからないが、昔ながらの建築方法なのか新しい方式なのか、いずれにしても驚くべき建物だ。
 つかみ所の無い、阿蘇の外輪山。巨大な外輪山に囲まれた平地の中にそびえる中央の新しい火山。車で登っていくと、なんとか僕の思う阿蘇に近づいてくる。途中で立ち寄った展望台では、思わずパノラマ用の撮影をしてしまった。
 410円のロープウェイに乗っているときに、車でも中岳のお釜まで行けることを知る。調査不足だね。思ったよりすさまじいお釜の様子を見て感動するも、周囲のお客さんが外人ばかりなのに疑問。勿論世界最大のカルデラ阿蘇を見ている訳ではないが、阿蘇の名前は日本よりも海外に有名らしい。だいたい、昨日からみていて阿蘇の外輪山全容は分かっていないのだ。
  1里にも満たない草千里を横目で見てドライブイン的安易なレストランに入る。高菜入りラーメンを頼んだが、こんな店でも本格的熊本ラーメンが食べられることには感動。
 米塚と言われる、伊豆大室山のミニチュアともいえる、阿蘇のおできのような山。どうやら入っては行けないらしい雰囲気もあるが、栗山さんを筆頭に上りにかかる。斜面は恐らく30度以上あって、つまり普通なら登れない角度。生えている草の根が階段の代りになって何とか登れる。所が途中で振り返って僕は考えを変えた。上りは休み休みなら何とかなるが、下りは恐くて下りられない。途中で躓きながら山を降りる。小林さんも同様で下りて浅井さんは留守番。残りの3名は頂上まで行ったが、下りてくるまで30分ほどかかった。スケジュールに押されない週末倶楽部ならではの行動。
 夕方を待たずしてキャンプ場を探さなくてはならない。予約とは無縁の団体だから。ガソリンスタンドで教わったスーパーで夕食の買い物。最初に行ったキャンプ場は、入園1000円でテント1張り1000円。つまり2000円×6名という金額。さっさとパスして外輪山を外に出る。地図にしたがって奥に進もうとしたら、入り口のお土産屋に案内所の看板。案内してもらおうとしたら、支配人が駐車場にいた。案内してもらうと、驚くほど近代的なキャンプ場。これで800円だっていうんだから、キャンプ場の金額はわからない。すぐに設営する。
 玉葱を刻んでカレーの準備。今日はみんなが協力してくれて順調に進む。僕だけでなく伊藤さんだって普段は料理をしているんだ。途中で乾杯して、ウインナーや巨大な茄子をつまみにする。
 まったく手抜き無しに出来上がったカレーは大評判。たまたま来ていた主婦にもよろこんでもらえた。運転で疲れた小林さんは寝たままで、しかし他のメンバーも洗い物が済むと寝てしまった。一人でパソコンをたたきながら明かりの下にいると、蛾・アブだけでなく、クワガタなども集まってくる。ノコギリクワガタは勿論、小クワガタだがヒラタだかわからないのも来る。試しに僕の指をかませてみたら少しだけ穴があいたから、ヒラタかもしれない。ヒラタだったら2万円ぐらいで売れるよな。図鑑の写真のような撮影を何枚もやった。クールピクス990は、レンズ面2センチまでよれるからね。
 10時に外灯が消える。道路に寝転んで星空を見上げるが、自動販売機の明かりが邪魔になる。トイレに行ったら小林さんが起きてきて、一緒に星空を見上げながら話す。テレビも何も無い、外灯も勿論自動販売機も無い昔。星空を見上げて眠れぬ夜を過ごしている時に、星の並びだけで物語を作った想像力が豊だったころ。そう思っていたら、藪のむこうに小さな青いひかり。小林さんに言ったら目を凝らして、そして正体を明らかにしてくれた。蛍だ。
 僕のカレーを美味しいと言って食べてくれた。明日の晩はホテルの料理だ。
◆◆◆ 22日 ◆◆◆
 目が覚めたのは6時半。それでもすでに伊藤さんはテントを畳んでいた。僕もテントを乾かす作業から開始。徐々にみんなが起きだして朝食は昨日の残りのカレー。カレーが片付いた時点で荷造りを開始。
 車は高千穂に向かい、まずは宅急便配送センターへ。今晩はホテルだから、テントや調理器具を送り返す。炎天下の中作業していたら、どうも1箱に納まりそうな気配。無理して詰めていたが、あとちょっとで納まらない。と、伊藤さんがボウルを受け持ってくれたので、ぎりぎり1個口に納まる。これで2000円近く節約できたよ。
 高千穂渓谷は柱状節理によってできた渓谷で、単に柱状節理だけでなく巨大な亀穴によってえぐられた形跡が随所に見られる。メインの駐車場が満車なので、ゴールが入り口になったが、ボートはアベックばかりだからパス。100円で買ったトマトが旨かった。
 北海道と違い、九州の道は曲がりくねった山道。途中、ローマの水道を思わせる水道橋があったので下りてみたら、大正8年に作られたもので、「ローマの水道を思わせる」としっかり明記されていた。余りの暑さに泳ぎたがる栗山さんを制して次へ進む。
 滝廉太郎作曲、荒城の月は岡城がモデル。まずは昼食をとってから城に向かう。強烈な炎天下の中を歩いていくと、お土産屋のおばさんが出てきて、紫蘇巻きのラッキョウをくれた。食べてみたら強烈な甘み。どうも九州は甘めの傾向があるが、これは強烈だった。絶対買わないぞと思いながら城内に入る。荒城の月の歌詞にあるように、立派な天守閣など無くなった城であって、馬の背中のような細長い尾根の上に細長く配置されている。毎度の事ながら不思議な石垣の緻密な並びの中を、更に不思議に木の根が走っている。下から伸びたのか上から下りたのか論争になったが、5メートルもの石垣をジグザグ状に貫いているのだから、おそらく長い年月がかかっている。だとすると栄養の関係から、上から下りたものと考えなければならないだろう。他のメンバーは落ちれば死体の崖っぷちを喜んでいたが、僕は尾根の中央を歩く。他人が崖っぷちに立っただけでも、尻がむずむずしてくる。
 絶対買わないぞと思っていたお土産屋のおばさんが、今度は冷たいおしぼりを手渡してくれて、結局店に入る。全体的に甘い漬け物はパスして、椎茸茶を買う。お茶に飽きたら出汁にも使えそうだから。
 栗山さんが車を止めさせた。何気ない通り脇の建物が、週末倶楽部にはぴったりの温泉だったという。慌ててターンしてみると、なるほど温泉の看板がある。日本一の炭酸泉とのことで入湯料は100円で無料。直ぐに入った。窓を開けると目の前は田圃で、なるほど炭酸がつよくてカルシュームが風呂の脇に析出している。
 5分も進んで集落の終り当たりに、またも温泉が有る。こちらも100円で入ったが、地元の人も入っていた。建物はせいぜい30年以内で、析出しているカルシュームは、100年以上かかった白骨温泉と同等かそれいじょう。相当成分が濃いらしい。
 湯布院はトウモロコシを期待していたが見つからない。混浴で100円という温泉は、池の横に建物があってロケーションは良い。しかし、庭に面した湯船は熱くてとても入れない。「勝手にうめないでください」って書かれているけれど、どこに水道があるんだ?途中、おばちゃんらしい声が聞こえが、男性ばかりだと帰っていった。混浴は成立せず。湯布院の街は原宿のミニチュアみたいになっていて週末倶楽部には不似合いだから、すぐに出る。今回初めての高速からの景色は見事で、周囲の景色の中に、放牧の牧場がたくさんある。
 ホテルに到着して驚いた。どうみても別府一番の巨大なホテルだ。部屋から別府湾が一望できる。すぐに大浴場へ。体育館のような建物にプール。どう見たって温泉じゃないよ。本当にオチンチン出して歩いていいのか、栗山さんも悩んでいた。砂風呂があったのでうめてもらう。子供の頃から体験したかった砂風呂。本格派ではなくぬるくて濡れた砂なので、その重さに驚く。体中が圧迫されて苦しいほど。調子に乗ってどんどん砂をかけてもらったら、自分の脈が手足で音を立てている。結局荒い砂がおちんちんに痛くて切り上げたが、砂から出るのにはかなりの労力を必要とした。出てからしばらく、体中に砂の跡が残っていた。
 夕食はバイキング。朝食のバイキングはよくあるが、夕食のバイキングは珍しい。和洋中華なんでもあるバイキングを堪能。8時から少年少女中国雑技団のステージが有るので見に行く。どうみたって小学校低学年も含む出演者は、日本では考えられないほどの危険な芸も含む。9人の大樹を支える一人の少女の太股が印象的だった。
 ホテルから2000円分のゲームセンターコイン券をもらっていたのでちょっと遊んでみる。僕は財布を持っていなかったからルーレットのたぐいしかできなかったが、レース・シューティング・シミュレーションなど、随分と進化したものだと驚き。
 部屋に戻って少ししてから小林さんと呑みに出る。どうやらホテルは昔ながらの温泉街と離れているようなので、ほてる内に有るスナックへ。女性4名に客が2名。独占状態だが滅入ろう会計だから恐いことも無い。閉店迄のんで1人4000円弱で、近くにある公衆浴場の集落情報もつかんだ。明日のスケジュールは温泉一色になりそうだ。
◆◆◆ 23日 ◆◆◆
 目が覚めると小林さんと僕しかいない。声もかけずに朝食に行ってしまったかと追いかけたが、食堂にもいない。風呂を覗くと栗山さんが出てきたが、他のメンバーは不在。どうやらすれ違ったようで、部屋に戻るといた。すぐに朝食に向かう。和食・洋食とそろったバイキングで、驚いたことに小林さんは僕の3倍食べた。そういえば、朝食の量は前から多かったっけ。朝食後、露天風呂に入ったら、正面のマンションから覗かれたい放題。隣の女風呂はどうなんだろう。
 チェックアウトして目指すは明礬。温泉の固まった場所として、昨日スナックで聞いていたのだ。成分が明礬なんだか地名が明礬なんだか、どうやら両方らしい。ところがここは入湯料500円の観光用温泉ばっかり。もう一カ所、鉄なんとか言う場所を聞いていたので、さっさとそちらに動く。目印はヤングセンターとのことで、町中にはいるとちょっと古くさい黄色の看板を見つける。カタカナでヤングセンターという文字に嫌な予感はしたのだが、予感通り「お芝居と大温泉」ときたもんだ。おまけに歌舞伎役者の写真。ここで言うヤングとは老人の事らしい。できた時代が想像つくよ。大人1200円、子供600円って、子供入るのか?
 わからんヤングセンターのすぐ近くに、蒸し風呂の看板。なにやら不思議なムードの漂う古い建物なので話を聞いてみると、日本中でもここだけという鎌倉時代から続いている蒸し風呂だという。サウナとどう違うのかと思いながらも、4名が入ることになる。180円を支払うとおばちゃんのマシンガントークが始まる。脱衣所の使い方、パンツの脱ぐ場所、風呂のつかり方、タオルの使い方、そしていよいよ蒸し風呂の入り方。どこに蒸し風呂があるのかと思ったら、おばちゃんの足下に入り口があった。先に入ったメンバーが大騒ぎしており、おばちゃんが、「動くと熱いんよ。動いたらいかん!」なんて叫んでいる。なにやら異様な雰囲気。最後に僕も入ろうとしたら、一瞬でメガネが曇って熱気が中から吹き出してくる。
「草を動かしたら火傷するよ。5分しっかり時間はかって、でも途中で我慢できなくなったら大声で叫ぶんだよ。タオルが濡れていると火傷するからね。体を動かさんようにじっとしているんだよ。火傷するからね」
って、これ拷問だよ。5分どころか1分もすると下に接している部分が熱くなってきて、足・腰・肩・手と、順番に持ち上げて暑さならぬ熱さをこらえる。80センチほどの天井の下、暗黒の中4名の声が響き渡って、噴き出した汗でタオルも濡れてくる。タオルが濡れると熱さが伝わってきて、今度は頭が熱くなる。おばちゃんが細かく指示するわけだよ、気楽な気持ちで入ったら大変な事になる。どうやら腰の下の草が薄かったようで、おばちゃんに扉を開けてもらって外に這い出す。這い出す時にも死ぬんじゃないかと思うぐらい熱い。残りのメンバーも次々と出てきて、サウナで鍛えていた栗山さんだけが、どうやら5分ほど持ちこたえて出てきた。背中についた薬草を払い落として、またも風呂の使い方を細かく指示される。
 これは良い経験をした、しかし1度で十分だ等と騒ぎながら外に出ると、悲鳴が町中に響き渡っていたと小林さんがやってきた。周りじゅうに細かな外風呂があるのだが、もはや一発でノックアウト。6名そろって軟弱にも喫茶店に転がり込む。ソーダ水250円はありがたい。更に水をがぶがぶ飲みながら、地元の人しか知らない秘湯を聞いてみる。
 墓場を通り過ぎて、突き当たりのロータリー付近に車を止める。もしかしたら今はお湯がないかもとか、ミミズが死んでいるミミズの湯だとか、夜中にホステスが来るとか、いろんな評判に期待しながら谷間の原っぱを進む。横をお湯が流れているからお湯のない心配はない。建物が見えてきて、1人の男性が風呂に入っていた。話に聞いていたより整っていて、お湯は熱め。先に入っていた男性が、入り方を教えてくれた。下流のお湯で体を洗ってから上流のお湯にはいるのだという。その通りにして、阿蘇周辺の旅行最後の風呂に入る。今回の旅行で最高の開放感。こういう風呂、探すの難しいんだよね。本には載っていないし、地元の人に「良い風呂」って言っても教えてくれない。隠しているんじゃなくて、教えるほどの風呂だと思っていないんだ。自分たちで作ってみるか。東京週末倶楽部的温泉めぐりホームページ。
 旅の疲れでうとうとしていたら空港付近のレンタカーを返す駐車場に到着。ところが隣のガソリンスタンドが休みなので、少々走り回る。たこ焼き・ソフトクリームの店で、たこ焼きもソフトクリームを食べる。空港で僕と小林さんは日本で唯一のホーバークラフトを見に行き、残りは昼食。陸走650メートルがコピーのホーバークラフトは、建物の陰から横向きにやってきた。横向きのまま近づいてきて、目の前でぺちゃんこになった。昔、発泡スチロールとエンジンで模型を作って、回転させたままで浮かせて喜んでいたっけ。本物もうるさいけれど、模型もうるさかったよな。
 帰りも窓際に座った。でもあまり外は見なかった。眠かったし、熊本空港ではなくて大分空港だから、窓の下に阿蘇は見えないんだよな。巨大な阿蘇は、外輪山に入ったときもわかなかったし、何となく外輪山を感じたものの見えたのは半分だけ。中岳から残り半分が見えて何となくわかった気がしたけれど、外輪山からしばらく走って到着した高千穂峡も阿蘇の溶岩でできたものだっていうし、阿蘇から徐々に離れて外から見ているはずなんだけれど、外に出たらもっとわからなくなった。
 阿蘇山、でかすぎる。
 カルデラが落ち込んだのはいつだろう。どのぐらいのスピードで落ちて、どのぐらいの衝撃があったのだろう。それより、カルデラが落ちる前の阿蘇山って、富士山よりずっと大きかったのではないだろうか。それがもっぱらの話題だった。阿蘇山博物館に寄らなかったことが悔やまれた。ゆっくり調べてみよう。
◆◆◆ 東京 ◆◆◆
 徐々にメンバーが別れて行き、国分寺からは1人になった。東村山に止めておいた自転車に、何とか荷物を積み込んで自宅に向かう。空気の甘い自転車のタイヤを気にしながら走っていると、恵美子から電話が来た。あと10分で到着。
 久々の我が家に戻った。ほとんどは食べ物の土産をひもとく。仕入れて売るだけの店では買わずに結構こだわったつもり。食べ物じゃないおみやげが2つ。1つは生年月日から占いつきの石=マラカイト。これは恵美子に。もう1つは律へのおみやげで、振るとかたかた音のする木工細工。今一番喜ぶのが音のする玩具だから。しかしもう眠っていたので、お楽しみは明日に伸びてしまった。